成績が良い生徒の意識

実力と自己評価

 私が先日読んだ本(「薄っぺらいのに自信満々な人」榎本博明)に、人間の能力と意識に関して興味深いことが書いてありました。

 <現状に疑問や不安を感じるという点が、まさに「できる人物」の条件といってよいかもしれない。(中略)実際、よくわかっていない人ほど自信たっぷりに断言する。どうみても無理だろうと思うことでも「大丈夫です」と言い切ってしまう。> 

 <心理学者のダニングとクルーガーによる実験によると、被験者たちにある論理的推論試験をやらせたところ、点数が低いグループは試験後の自己評価が高く、自分の能力を著しく過大評価していた。逆に成績上位者ほど自分の能力を過小評価する傾向があった。このことを『ダニング・クルーガー効果』という>


 これらの主張は主に社会人について述べられているようですが、小学生や中学生にも当てはまると思います。勉強ができる生徒は、「頭がいい」という評価をされがちですが、実は単純な頭脳や学力の違い以前に、自己評価や目的意識に大きな差があるのではないかと思うのです。良い成績を取る人は、何を考えてどのように行動しているのでしょうか?

完璧を目指す

 例えば漢字の暗記テストがあったとしましょう。10点満点のテストで、先生が「8点が合格点だ。不合格者はペナルティを課す」と言うと、「じゃあ2問は間違えてもいい訳だから、なるべく覚えるのが難しそうな2つを探してそれを捨てよう」などとせこいことを考える生徒がいます。こういう生徒はまず成績が伸びません。それは捨てた2問分の知識がテストのたびに積み重なって大きな差になる、というだけではなく、もっと深刻な理由があるのです。
 良い成績を取る生徒は、まず8点合格だからといって8点ギリギリを狙うようなことはしません。気持ちだけでも、必ず満点を目指そうとするでしょう。そのために、まず現在の自分の力や知識を確認します。そして、テスト内容に対して不足している部分があると分かったら、何が何でもその穴を埋めようとします。
 この時、(これはとても重要なのですが)この人の頭の中は、「できればやろう」「時間があればやろう」ではなく、「必ずやる。そのために時間を確保する」という発想になっているはずです。この違いは決定的な差を生みます。
 「できればやろう」という考えの人は、部活が忙しかったり、疲れていたりすると、勉強量も減ってしまいます。それで、やれる範囲で頑張って、その結果がいまいちだったとしても、仕方ないこととして受け入れてしまうのです。しかし、完璧を目指す人は違います。「忙しいから勉強できない」とは考えずに、「どうやって時間を作ろうか」と考えます。「勉強をやれるか、やれないか」という選択肢ではなく、「やる」というのは決定事項とした上で、どのような方法で勉強を実現するかを考えているのです。
 実際、小中学生の学習内容であれば、成績の差を作る要因のほとんどは、どれだけ勉強するか、ということに尽きます。もちろんやり方にもよりますが、たくさん勉強すればするほど成績が上がるのは間違いありません。成績の良い生徒は、「必ずやる」という強い意志を持って、それなりの時間や量の勉強をしています。
 そういう意味では、成績のいい子に対して「頭がいいね」というのは、正確な褒め言葉ではありません。というのは、その生徒は元から頭が良くて何の努力もなしに良い成績が取れた訳ではないからです。同じ理由で、自分の成績が低い時に、その原因を頭の良し悪しのせいにするのも、単なる言い訳でしかありません。

妥協しないために

 良い成績をとり、それを維持するための勉強量とやる気を支えるには、高い目標意識が必要になります。適当なレベルで「この程度でいいや」と甘えてしまう人は、まずその意識から変えていかないといけません。
 まずは自分なりの目標を考えましょう。例えば定期試験ならば、学年順位〇〇番以内を目指すとか、クラスの平均点を越えるとか、前回の自分の点数を越えるとか、何でもいいので、今より少し頑張らないと達成できないぐらいの目標を立てるのがコツです。中学生であれば、将来行きたい高校を思い描くのもいいでしょう。目標が具体的なほど、モチベーションも上がるはずです。目標に対して妥協せず努力し、良い結果が得られたら、それは今後の勉強の大きな自信になるでしょう。